調和と変革
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ラテン語を学習することから得られた思わぬ展望

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約半年前からラテン語講座に通っています。

毎月1.5時間の講義があり、2年かかってようやく初等文法を終える予定の、かなりゆったりとしたペースの講座なのですが、課される宿題が相応にあり、ラテン語と他の習い事と労働と生存のための活動を全てこなすことに難儀する日々を送っています。先日、2025年度後期の講義が終わり、一先ずの節目を迎えることができました。

ラテン語の学習は私の或る問題意識から取り組まざるを得なかったのですが、取り組んでみて思わぬ展望が見えてきたので、今回はその話をしようと思います。

Table of Contents

ラテン語初学者による練習問題解説

解説の前に

展望の話をする前に、私のラテン語学習がどういうものかを説明したく、先日解いた教科書の練習問題を解説してみようと思います。

講義で答え合わせしていますので、(私の聞き漏らしや書き取りミスがない限り)答えは合っています。しかしながら、解き方まで見てもらっているわけではないので、以下に書くのは、初学者の、要領の悪い、練習問題を解く手順の記録になります。ラテン語学習の参考になるようなものではなく、「不慣れな言語を扱うと文を丁寧に読むことになる」ということを具体的に示すために書いた章です。

私は練習問題を大体この順序で解いています。

  1. 各単語の見出し語(変化元)の形を推測しつつ辞典を引く
  2. 辞典から単語の意味と変化規則を確認する
  3. 各単語の意味と変化を特定する
  4. 名詞の格変化等から文の構造を読み取り、邦訳する

邦訳するにあたり、当然のことながら各単語の意味を調べる必要があります。しかしながら、ラテン語の名詞群と動詞は変化します。そして、辞書はその内の一つの形を収録しています。従って、問題文に記載された単語をそのまま引くことはできないことが多くあります。そのため、辞典の見出しに使われている形を推測して引き、意味と変化規則を確認した上で、改めて各単語の変化を特定する必要があります。これは慣れなければいけませんが、分からない場合は変化早見表を見ながら対処します。

ラテン語の語順は現代語と比較して自由です(散文においては正常とみなされる語順があります)。ラテン語は語形変化が複雑なため、名詞や動詞の機能はその語形によって示され、語順によって限定、束縛されません。そのため、各単語の変化から文の論理構造を読み取ります。

解説

以下の文を邦訳します。

Trāns fluvium sine perīculō domum redeō.

松平千秋・国原吉之助. 『新ラテン文法』, 東洋出版, 1992, p. 44

各単語の意味と変化を確認します。

一語目のtrāns(…を超えて)は前置詞です。

ラテン語の前置詞は修飾する名詞の格がその前置詞によって決まっています。奪格のみを修飾する前置詞、対格のみを修飾する前置詞、奪格と対格の両方を修飾する前置詞、の三種類があります。trānsは対格支配で、文中の対格の名詞と他の語の関係を示します。文の全ての名詞の格変化を確認した後、邦訳時に対格の名詞と紐付けます。対格の名詞が複数ある場合は、その中から表現が正しく成立する組み合わせを選びます。

二語目のfluviumは名詞です。

日本語では、名詞と他の語との関係を格助詞(「が・の・を・に・と・へ・から・より」等)で説明します。ラテン語は名詞に格変化があり、格変化で名詞と他の語との関係を表します。名詞の格変化の規則は大きく分けて五種類あり、特定の名詞がどの規則に従うのかは辞典を引いて確認することになります。

研究社の『羅和辞典〈改訂版〉』(以下、辞典は研究社『羅和辞典〈改訂版〉』を指します)の名詞の見出し語は単数主格形です。意味を確認したい名詞が格変化している場合は問題文に記載の単語から直接引くことはできませんが、慣れてくれば問題なくすぐに引くことができます。fluviumの単数主格形はfluviusです。

fluviusを辞典で引くと、「川, 流れ; 川の水」という意味の他に、「-ī, m」と説明があります。これは、単数属格形の語尾が-īであり、男性名詞(m)であることを意味します。ラテン語は単数属格形の語尾で名詞の変化を種別しており、-īは第二変化を意味します。教科書には、fluviusと同じ第二変化男性名詞であるdominusの格変化が紹介されています。

表1 名詞の第二変化(-ī) 男性
語格格の機能(参考)単数(sg)複数(pl)
主格(nom)主語dominusdominī
属格(gen)所属、所有dominīdominōrum
与格(dat)間接目的語dominōdominīs
対格(acc)直接目的語dominumdominōs
奪格(abl)場所、手段、…と共にdominōdominīs
呼格(voc)呼びかけdominedominī

表1の語格の順は教科書に準じていますが、これは講師曰くドイツ流の並べ方だそうです。辞典では主格の次に呼格が並んでいます。主格と呼格、与格と奪格は同じ形になることが多くあるため、それらが隣り合うように配置した方が合理的な気もしますが、一先ず教科書に倣います。

この表を参考にしつつ、fluviumの格を確認します。fluviumと同じ変化をしているのはdominumですから、問題文にあるfluviumは単数対格形です。対格は概ね直接目的語を示します。fluviumを日本語に訳すと「川を」になります。

続きの「sine perīculō domum」も前置詞と名詞で、「Trāns fluvium」と同じ要領で確認するだけですので、解説を省略します。

redeōは動詞です。ラテン語の動詞は、態(教科書では相)、法、人称、数および時称で変化します。これも名詞同様に、辞典の見出しに使われている形(直説法現在一人称単数形)を推測して引くことになります。今回はredeōが直説法現在一人称単数形のため、そのまま辞典を引くことができます。

これで確認が終わりましたが、通常は、この後動詞の変化を確認します。参考までredeōの変化も確認します。

redeō(帰る)は接頭辞re-(後方へ)とeō(行く)の合成動詞です。母音重複を避けるため、子音dを加えてredeōという形となっています。redeōの変化はeōと同じです。尚、規則動詞は四種類ありますが、eōは不規則動詞です。

ラテン語では人称と数を動詞の変化で示します。そのため、特別に強調するときを除いて、代名詞(「私・私たち・あなた・あなたたち・彼・彼ら・それ・それら」等)の主語を置くことはありません。

表2 eōの直説法現在の変化
人称単数(sg)複数(pl)
一人称īmus
二人称īsītis
三人称iteunt

表2より、redが一人称単数形であることが分かりました。意味は「私は帰る」になります。

これで、各単語の意味と変化の確認が終わりました。

表3 各単語の意味と変化
文中の表現辞典の見出し意味品詞変化備考
Trānstrāns…を超えて前置詞-対格支配
fluviumfluvius川、流れ名詞単数対格-
sinesine…なしに前置詞-奪格支配
perīculōperīc(u)lum危険、試し名詞単数奪格-
domumdomus名詞単数対格前置詞なしの対格形で、動詞の「どこへ?」を説明している
redeōredeō帰る動詞一人称単数-

名詞と動詞の変化が分かり、前置詞と名詞、名詞と動詞の組み合わせが確定しました。

  • 川を越えて
  • 危険なしに
  • 私は家に帰る

「川を越えて」と「危険なしに」が何を修飾するかを考えます。ここからは常識的な思考を巡らすことになります。「川を越えて」は「帰る」経路を説明しています。「危険なしに」は「川を越えて」を修飾しています。「川を越え」ることが一般に危険を伴い得るという常識を前提に、この帰路において損害やその可能性がなかったことを説明しています。

これらを日本語として成立するように整えます。

私は無事に川を渡って家に帰る。

できました!

ラテン語を学習することから得られた思わぬ展望

練習問題を1問解くのに、私はいつも5分から10分程度かかっています。上に書いた作業をより簡易的に、軽量なテキストエディターと手製の早見表テキストファイルと物書堂のデジタル辞書を駆使して、各単語の確認作業を能う限り素早く行うようにしていますが、それでもかなりの時間がかかります。ラテン語講義で課される宿題は毎回30問程度ありまして、毎月最低5時間は学習時間を確保しないと予習が終わりません。講義や復習と合わせて、毎月おおよそ10時間の学習になります。

どうしても読むのに時間がかかる言語を継続的に読む状況に自らを追い込んでいるわけですが、これが言語を丁寧に読む良い訓練になっている実感があります(成果が形になるのはまだ先の話ですが)。不出来な生徒、学生だったため、かつて学校で習った英語やドイツ語はこのように丁寧に読んではいませんでした。それらを学び直しても良いとは思いますが、今の私にとってラテン語の方が優先度が高いということの他に、自然言語による論理的な表現を学ぶためにはラテン語が良いのではないかと最近は考えています。

ラテン語の、名詞の機能を格変化で説明する、というのは取り組んでみると文の論理構造を追いやすいことが分かります。前章の練習問題でも、前置詞と名詞の組み合わせは名詞の格変化を確認した時に機械的に確定しました(勿論、これは前置詞の練習問題だからそのような文になっているのであって、いずれ取り組む可能性のあるウェルギリウスやオウィディウスはそう簡単ではないでしょうが)。西洋においてラテン語が学問の共通言語だったことにも納得します。

講師曰く、英語で一定程度複雑な論理構造を示す言い回しはその殆どがラテン語由来であり、そのラテン語表現の多くは古典ギリシア語に由来するそうです。そしてそのことを以て、古典ギリシア語を学ぶ必要性を説きます(講師は毎回これ以外にも様々な観点からラテン語学習者に対して古典ギリシア語を学習することを薦めています)。私はラテン語に触れたばかりで当然習熟していない段階ですが、取り組んだ範囲に於いて講師の話は尤もなように聞こえます。

日本で生活していると、「日本語は曖昧で、英語は論理的」といったフレーズが、肯定的あるいは否定的な形で、数えきれない程視界に入ってきます。論理的であることが(多くの場合経済的利益を獲得するために)良いことだから身につけたい、あるいはその見解のいずれかの要素を否定したい(因果関係や事実の誤りの指摘、経済的利益を希求することへの忌避感の表明をしたい、等)、と多くの人が感じるために、これは広く関心を呼ぶフレーズなのでしょうか。もし本当に論理的な表現というものに興味があり深く学びたいのなら、英語等の現代語ではなく、論理的表現の源泉であるラテン語や古典ギリシア語に取り組む方が良いように思われます。

論理的な表現に対する私の関心の話をします。このブログに載せている記事の一部は、私自身が後戻りしないために、自分で読み直すために書いています。秋山蓮が「後戻りできなくなる」行為を決意した時に「俺はそれを望んでる」と言ったように、あるいは白銀リリィが誰かのためでなく「私自身のために歌っている」ように。そのためには、表現に誤りがないこと、読み誤る可能性を極力排除することを心がけ、逃げる余地のない表現と構造にするべきです。そうできれば良いのですが、結局読み返すたびに手直ししており、一部記事の変更履歴は悲惨なことになっています。

ラテン語は古典ギリシア語を学習するための前提知識として取り組む必要が生じたため学習していますし、古典ギリシア語は、それを原語とする作品、具体的にはホメロスやソフォクレスの、適切な読解の助けになることを期待して今後取り組む予定です。これらはとても先の長い話になりますし、果たして最期に私がこの取り組みに意味を見出すのかは分かりません。ただ、この他に、期せずして、論理的表現というものはどういうものか、論理的に言語を読むとはどういうことなのか、ということをラテン語を通して学ぶことになりそうです。ラテン語に継続的に取り組むことで、私の言語運用能力も多少は改善されるのではないかと期待しています。