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- 最終更新日: 2025年12月7日(日)
『わたなれ』が批判する「普通」について
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- reiji990
※これは『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)』第4巻の展開を整理した記事になります。第4巻の前段である第1巻〜第3巻の内容にはもちろん触れますが、それ以外に第4巻の映像化作品『ネクストシャイン!』で追加された演出、台詞にも言及しますし、第5巻以降や短編集の内容も参照します。この記事の前提となる、王塚真唯と瀬名紫陽花の悩みがどのように解釈されるかという点については前回の記事もご参照ください。
Table of Contents
甘織れな子が捨てた(捨てさせた)「普通」とは何か
原作第4巻のクライマックスでは「普通」という言葉が象徴的に使われます。また、『ネクストシャイン!』のメイン・テーマでも「『普通』じゃない物語」という歌詞があり、本作の制作者達がこの言葉を重要視していることが伺えます。今回はこの言葉を軸に『わたなれ』を読んでいきます。
王塚真唯と瀬名紫陽花の二人から告白を受けた甘織れな子は、どのような答えを出すかを悩んでいました。二人の思いを真摯に受け止め、思考を巡らせる中で、甘織れな子は自身のこれまでの振る舞いの再解釈を行います。1
――わたしは人に好かれたいんじゃない。
誰かの特別になりたいだとか、親友がほしいとか、一番になりたいとか。
そんな大それた願いはずっと噓だったのだ。
誘われる際にメンバーに入れてほしい。場にいることを許されたい。わたしが喋ったことをみんなに聞いてほしい。したことへの反応がほしい。
それって、ぜんぶ、ようするに――。――ただ、人に嫌われたくないだけだったのだ。
みかみてれん; 竹嶋えく. わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?) 4 (ダッシュエックス文庫DIGITAL) (p. 22). 集英社. Kindle Edition.
甘織れな子は「誰からも嫌われない」ための方法は「普通」になることだと考えていました。そして、「普通」であることは、「みんなと一緒」であることだと説明します。
もし本当に、誰からも嫌われない方法があるとしたら、それはひとつだけ。
『普通』になることだ。
好きなものも一緒、嫌いなものも一緒、なにもかもみんなと一緒になれば、周りから叩かれることはなくなる。無敵のバリアの完成だ。
みかみてれん; 竹嶋えく. わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?) 4 (ダッシュエックス文庫DIGITAL) (p. 351). 集英社. Kindle Edition.
「みんなと一緒」であり続けようとする、ということは、他者からの評価を意思決定の基準に置くということです。他者から一定の評価を得ること、決して評価を失わないこと、それらを目指すことが甘織れな子の「普通」であるということです。
第4巻のクライマックスで、甘織れな子はこの「普通」を捨て、「『普通』じゃない」選択肢、すなわち王塚真唯と瀬名紫陽花の両者と交際すること、二股をかけることを選びます。
「だからわたしは『普通』なんて、いらない」
胸に手を当てて、宣言する。
「どっちのことも選ばないんじゃない。ちゃんと、ふたりとも選ぶ。すごく贅沢なのはわかってる。けど、わたしは、真唯と、紫陽花さん。ふたりと、ひとりひとりと付き合いたい」
みかみてれん; 竹嶋えく. わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?) 4 (ダッシュエックス文庫DIGITAL) (p. 363). 集英社. Kindle Edition.
この決断があまり一般的な発想でないことは多くの方が同意することだと思います。この決断を下した第5巻以降は、三者がこの関係を周囲に隠しながら恋人としての行為を愉しむエピソードを挟みつつ、関係を知った周囲の人たちの反感に立ち向かうストーリーが組み立てられます。甘織れな子が中学生の頃に憧れていたような、恋人とのデートの写真をSNSに投稿してちやほやされるようなことは当然ありません。甘織れな子の決断は、甘織れな子が他者からの評価を意思決定の基準から切り捨てるということでした。
そして、甘織れな子の決断は、王塚真唯と瀬名紫陽花に対しても「普通」を捨てることを求めます。しかし、王塚真唯と瀬名紫陽花にとっての「普通」は、他者評価を意思決定基準に置くということではあっても、甘織れな子の考える「みんなと一緒」ということではありませんでした。では、それは如何なるものだったのでしょうか。
王塚真唯にとっての「普通」
王塚真唯にとって、他者評価に影響されて生きることは、母の「生き方を模倣」するということでした。
『人生は一度きり。私は後悔しない。あなたにも後悔をしてほしくはない。だから、行動は慎重になさい、マ・シェリ』
『……はい』
それは何度も彼女が口にしている言葉だ。自分のために言ってくれている。だけど、それの本当の意味は——。
(あなたが願う『後悔しない生き方』というのは、つまるところ、あなたの生き方を模倣しなさい、ということなのではありませんか?)
真唯は胸の内で問いかける。
みかみてれん; 竹嶋えく. わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?) 4 (ダッシュエックス文庫DIGITAL) (p. 318). 集英社. Kindle Edition.
王塚真唯は母の手がけたブランドのモデルを務めていますが、身体条件が極めてシビアに評価されるモデルの世界で、身長167cmの肉体は海外で十分通用するものではありません。しかしながら母の求めに応じて、王塚ルネの娘という肩書きを使ってどうにか海外でもモデル活動をこなしていました。それが、母からも、世間からも求められる振る舞いだったからです。
王塚ルネは、王塚真唯に対して「普通」の恋愛(世間に気兼ねなく公表できるような、規範化された一対一の恋愛)をして、やがて結婚することを願っています。王塚真唯が恋活パーティを主催したことを知った時はそのことを咎め、恋愛のあり方に対して自身の考えを押しつけ、婚約者をあてがいます。剰え、王塚ルネは王塚真唯に押し付けた婚約を自社ブランドの注目を集めるために利用するのでした。これらは王塚真唯にとって耐え難いものでした。
瀬名紫陽花にとっての「普通」
瀬名紫陽花にとって、他者評価に影響されて生きることは、「いい子」であろうと律しながら日々を過ごすことでした。これには、共働きの両親を助けるために母の代わりを務めることが含まれます。作中、この母の代わりという役割により瀬名紫陽花の日常生活は制限がかかっていることが度々描写されます。このストレスは第3巻で爆発することになります。
「うん。夏休みだしね。お母さんの代わりに、弟たちの面倒見なきゃいけないから。遊びに行ったり、お外で働いたりとか、できないんだー」
みかみてれん; 竹嶋えく. わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?) 3 (ダッシュエックス文庫DIGITAL) (p. 47). 集英社. Kindle Edition.
高校生のような、多く被扶養者の立場にある年齢であれば、その人生は扶養者の生き方に否が応でも影響されます。親が自営業者や企業経営者の場合、家業の手伝いや、将来継ぐことを求められることもあるでしょうし、両親が共働きで家を不在にしがちなら、親が行うべき(?)とされる家事や他の家族の面倒を見ることを求められるでしょう。王塚真唯と瀬名紫陽花は、親に求められる、親の模倣、代行、再生産の道を歩んでいました。そして、それこそが彼女達にとっての、周りに求められる「普通」でした。
既に「『普通』じゃない」友人たち
『わたなれ』には、物語当初からこの意味で「『普通』じゃない」道を歩んでいる登場人物がいます。甘織れな子の友人、琴紗月と小柳香穂です。
琴紗月は、女手一つで自身を育ててくれた母が何度も恋愛に失敗し傷つく様を見つめ、やがて母の人生の再生産にならない人生を望むようになります。そうして感情を強く抑制して人を好きになることのないように日々を過ごすようになったのでした。
怖かった。いつか自分が、母のように愚かな女になってしまうことが。
だから決めたのだ。
恋が、私と家族を歪めるのなら。
こんなもの。
自分には、いらない。
みかみてれん; 竹嶋えく. わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?) 8 (ダッシュエックス文庫DIGITAL) (p. 254). 集英社. Kindle Edition.
また、琴紗月は他者評価をまるで気にしていないことが度々描写されています。すなわち、琴紗月は親の生き方を再生産することを拒み、かつ親以外も含めた他者からの評価を気にせずに生きているということになります。
小柳香穂は、両親の離婚によって関わりの深い家族だった母と会うことがなくなり、更に父の再婚により家での居場所を失います。すなわち、模倣するか否か以前に、参照する親を失い、強制的に「普通」からドロップアウトさせられます。その後2はコスプレ活動に没頭し承認欲求を満たそうとしますが、レイヤー同士の人間関係やアンチの言葉に傷つき、他者評価に依存しながらコスプレ活動を続けることが困難になります。その対策として、かつての甘織れな子を範として、やりたいことを貫く強い自分を演じるようになります。自身で望んだことではないにしても、小柳香穂も琴紗月と同様に、親の生き方の再生産の道を辿らず、他者評価の世界からも離れて生きる意思があることが描写されています。
「『普通』じゃない」選択肢についての補足
「『普通』じゃない」生き方を選んだ琴紗月は、告白への答えに悩む甘織れな子へのアドバイスとして、決断が後悔とセットであることを語ります。
「人生とは、決断すること。神様じゃないんだから、未来なんてわからない。そうして選んだ道を、どうにかこうにか進むしかないの。後悔するとわかっていてもね」
含蓄ある言葉の響きに、背負っていたリュックがさらに重くなった気がした。
「……紗月さんは、大人ですね……」
「別に、私だってあなたと同じよ。後悔しながら生きてきたもの。真唯と同じ学校に行ったらぜったいに後悔するとわかっていたのに、行かないことを選べなかったように……」
みかみてれん; 竹嶋えく. わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?) 4 (ダッシュエックス文庫DIGITAL) (p. 95). 集英社. Kindle Edition.
この台詞は先ほど引用した王塚ルネの「私は後悔しない」という台詞と対になっています。王塚真唯に「普通」の生き方を求める王塚ルネと、「普通」の生き方を自発的に捨てた琴紗月で、同じ「後悔」という語を使って互いのスタンスを語っています。
王塚ルネは事実上王塚真唯に決定権を握らせないことで後悔しない人生を歩めるよう諭します。「私は後悔しない」という言葉は現状認識ではなく宣言で、自身の生き方を盲信するということ、後悔することを受け入れないということ、思考停止するということです。
一方で、琴紗月は、甘織れな子がいずれ行う決断に後悔はつきもので、それは受け入れるしかないのだと語ります。王塚真唯に「後悔をしてほしくはない」と語る王塚ルネの狙いが結局のところ世間(自分)にとって望ましい「普通」の選択肢に誘導することだった以上、それと真逆の琴紗月の「後悔するとわかってい」る道を選ぶという話は「『普通』じゃない」選択肢を選ぶ可能性を甘織れな子に示唆しています。また、決断とは意思決定である以上、思惟を前提とする言葉です。
本作の「普通」を選ぶか否か、という問題は、思考停止するか考えを巡らせるかということでもあるわけです。
「普通」を捨てることの必然性
ここまで確認してきた四人の状況を簡潔にまとめます。
- 母を模倣する王塚真唯
- 母を代行する瀬名紫陽花
- 母の模倣を避ける琴紗月
- 参照する母を失った小柳香穂
甘織れな子に対する恋を自覚したのは前者二人であり、二人は親の求めや環境の必然性から親の生き方の再生産の道を歩んでいました。
甘織れな子自身はどうでしょうか。甘織家の家族仲が極めて良好なことは毎巻描写されており、甘織れな子は高校生活の中で時間的、経済的に不満を感じている描写も特にありません(瀬名紫陽花の家出に同行した直後に家庭用ゲーム機が故障した時はさすがにお金の工面に難儀していましたが)。親に生き方を強制されることも、親の作る環境から人生の選択肢が狭められることもない、その上関係も良好な、本作ではほとんど唯一の家族に対する問題意識のないキャラクターとして描かれています。
そして、甘織れな子は「普通」になりたいなどと客観的評価に拘っているようなことを言いながら、その実態は琴紗月や小柳香穂の側に近いことが原作第2巻と第4巻で語られます。
第2巻で、当初甘織れな子は琴紗月にくるめられて琴紗月一人の都合で契約交際を始めたと認識していました。しかし、クライマックスでこの交際は琴紗月一人の都合ではなく、甘織れな子自身も王塚真唯にささやかな復讐を遂げたいと思っていたからこそ実行されたこと、琴紗月から評価されるためではなく自身の望みのために行動していたことに気づきます。これは作中「共犯者」という語で説明されていました。
第4巻では、告白の答えに悩む甘織れな子と、幕張コスプレサミットへの出場有無に悩む小柳香穂はまるで「鏡みたい」だったと描写されます。これは、他者評価の世界から自己実現の世界へ、意思決定基準を移行することを二人が同時進行で行ったことの表現でした。
『ネクストシャイン!』では、限られた尺の中で本作が何を語っているのかを端的に説明するために以下引用符部分の台詞が原作から追加されています。3
れな子「ええ、ええ、今ようやく心じゃなくて魂でわかった気分! つまりそういうことだったんだ、って! “他人なんてどうでもいい、って!”」
アニメ『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)~ネクストシャイン!~』(2025年)
『ネクストシャイン!』のキャッチコピーは「わたしはわたしを、好きになりたいから!」。甘織れな子と小柳香穂は、他者評価の世界から自己実現の世界へ意思決定基準を移行することで自身を好きになることができる準備が整います。そうして小柳香穂は幕張コスプレサミットに参加し、甘織れな子は「『普通』じゃない」選択肢を王塚真唯と瀬名紫陽花に提示します。
自分が、本当ははじめから、他者評価の世界に沈んでいない、そのような生き方を選べないのだということを自覚した甘織れな子だからこそ、告白してくれた二人に対して、「『普通』じゃない」道を提示することができました。そして、それこそが、王塚真唯と瀬名紫陽花にとって真に必要なものだったということが第5巻以降で語られます。
王塚真唯は自分たちの恋路を王塚ルネによって阻まれることのないように、王塚ルネを騙して三人の関係を守ろうと努めます。瀬名紫陽花も、親代わりにこなす家事で忙しいからと諦めていた、生徒会への入会を決意します(「瀬名紫陽花と、生徒会選挙」より)。こうして、「『普通』じゃない」道を選んだ二人のヒロインは、親からの評価や家庭環境に縛られない生き方を模索するようになりました。これらは二人の成熟として語られます。
すなわち、甘織れな子の、「普通」を捨てる決断、二人に「普通」を捨てさせる決断は、王塚真唯と瀬名紫陽花を彼女達が囚われていた、客観的評価のために行動しなければならない(親の生き方の再生産をしなければならない)という価値観から解放し、彼女達を成熟に向かわせるものでした。
これは二人の告白へ「普通」に答えること(片方と一対一の交際を行うこと)では辿り着くことはありえません。何故なら、彼女たちが「普通」のままでいるということは、彼女たちを苦しめる現象を作った規範に従うということであり、親の生き方の再生産の道を辿り続けるということであり、自身の問題意識から目を逸らし思考停止し続けることだからです。
最後に
なお、王塚真唯と瀬名紫陽花がたどり着いた「『普通』じゃない」道を既に歩んでいた琴紗月と小柳香穂は成熟した個人なのか、というと決してそうではない、ということは付け加えておきます。
琴紗月が、母のようにはならないという意思決定の結果実行しているのは、感情の抑制、思考に一定のブレーキをかけるということでした。これは王塚ルネが「後悔しない」という語で示した、思惟を捨てた態度に少し重なります。琴紗月にはまだ成熟へ至るための物語が与えられる余地が残されているのです。琴紗月は第8巻で甘織れな子と思想的に対立する立場を取り、恋愛に関する甘織れな子の決断を見定めて自身の糧にしようと企てます。この結末が語られるであろう第9巻で琴紗月が何を見つめどのような決断を下すのか、とても楽しみです。
小柳香穂については、そもそも現在の状況が自身で選んだものではなく、なんら決断を下していない段階ですので、こちらも今後、何らかの意思決定を行う物語が与えられることが期待されます。
『わたなれ』は、第5巻以降にスポットライトのあたるヒロインたちも家族に対する問題意識があることが語られます。全てのヒロインが自身の問題に決断を下すには、ひょっとすると膨大な物語が必要になると思われますが(そもそもヒロインが増え続けているため)、全てが語られるまで原作が続くことを一読者として願わずにはいられません。
Footnotes
本作では、甘織れな子が自身や他者のこれまでの振る舞いの再解釈を行い、その言語表現に従う形で意思決定する様子が繰り返し描写されます。これは甘織れな子が王塚真唯から受け取った美徳で、言語運用上正しい結論であれば直感や常識に抗うことになったとしてもそれに従うということです。この態度は甘織れな子が「『普通』じゃない」決断を下す前提になっています。第4巻で王塚真唯を救いだしたのは、他でもない彼女自身が持っていた、そして甘織れな子に与えた美徳だったのです。 ↩
原作と『ネクストシャイン!』では、小柳香穂がコスプレを始めた時期が異なります。原作では父親が再婚した後ですが、『ネクストシャイン!』では両親の離婚前に母と共にコスプレを楽しんでいることが描写されています。これは、先ほど台詞を引用した王塚真唯と王塚ルネの会食シーンがカットされているのと同様に、本記事で中心的に述べている『わたなれ』の家族周りの表現をアニメ化に伴いマイルドな表現に変更する演出方針の一つと思われます。 ↩
確認が不十分なので、テレビ放送時に改めて確認します。間違っていたらご指摘いただけると助かります。 ↩