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拡張された恋愛について(『わたなれ』第5巻を読む その2)
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- 『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)』第5巻で語られた三つの恋愛の在り方について
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- reiji990
シリーズ:『わたなれ』を読む
- 1.『わたなれ』で反復される「赦し」について
- 2.『わたなれ』が批判する「普通」について
- 3.『わたなれ』第5巻を読む その1
- 4.拡張された恋愛について(『わたなれ』第5巻を読む その2)
前置き
これは『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)』第5巻の理解のため、本文をどのように読むことが可能かを整理した記事になります。対象は第5巻ですが、その理解のため、第1巻〜第8巻および短編集の内容も参照します。また、過去の私のわたなれ記事の解釈を前提にしています。一つ目の記事はアニメ版の読解であり、原作に言及した記事ではありませんが、第1巻終盤の一部を除けば原作も同様の構造となっておりますので、原作の読解を目指した本記事でも記事中の解釈を基本的に採用します。なお、一つ目の記事の解釈が原作で成立しない箇所とその解釈は記事の脚注に記載しています。
今回は「第一章」を中心に読んでいきます。また、「第一章」と深く関連する「第三章」の一部シーンを扱います。前回扱わなかった「プロローグ」三つ目のシーンは、5déesseと照沢耀子が初登場する重要なシーンですが、今回も扱いません。
今回から出典を紙版に統一します。これは、私がメイン利用する電子書籍サービスを今後Kindleから別のサービスに移行する可能性があることと、特定の事業者に依存しない形でソースを示す方が望ましいと考えを改めたためです。また、引用する書中のダーシ(「—」)をU+2014(EM DASH)に統一します。本書の電子版ではU+2015(HORIZONTAL BAR)を使用していますが、これは組版の都合によるものと思われます。この記事では、Webで表示する際により正常とされるU+2014を使用します。もし記事中の引用文をそのまま電子書籍の検索に使用する際は、ダーシを含めた場合に検索が失敗しますので、その点ご承知おきください。
以下、頁数のみを記す引用は、みかみてれん『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)5』(集英社〈ダッシュエックス文庫〉、2023年)を底本とします。他からの引用はその都度巻数又は書誌を記します。
拡張された恋愛の実践
「第一章」は、三人で交際することが何を意味するのか、その実践はどのようなものなのかの説明から始まります。これは、「第一章」が取り上げる内容を宣言しています。
友達の愚痴にどういう反応を示すか。同意するのか、同調するのか、励ますのか、慰めるのか。それらを選ぶとして、どの程度の強弱なのか。
世間の陽キャの方々は『そんなの見ればわかるじゃん』とか言ったりする。読心術? っていうか魔法? いやいや、答えは辺りを漂っているのだ。
それが『空気を読む』ってこと。
[……]
とまあ、早くもハードルが高いんだけど、ここまでが『普通』の人間関係の話。
といいますと、そうじゃないものも? そう、あるんです。
それが『特別』な人間関係。
わたしが選んだ三人で付き合うというルートは、まさしく明らかな正解がなく、お互いが相談しながら『じゃあこれが正解ってことにしようか?』『うん、そうだね』と毎回足を止めて話し合って、真っ白な地図を埋めてゆく冒険の旅だった。
「第一章」冒頭が提示する、三人の交際の在り方の概要は、前回の記事で既に説明していますので省略します。
今から始まるのは、わたしの『恋人』としての、第一の試練。
甘織れな子は「『特別』な人間関係」を「冒険の旅」に準え、その実践を「試練」と呼びます。三人で交際することは、自身にとって未知の体験であるばかりか、実践に際し参照する表現も(少なくとも甘織れな子が参照し得る情報の中には)ありません(「真っ白な地図」)。そんな中で大事にしている人たちとの人間関係を構築していくこれからの日々に、興奮と不安が同居していることを説明しています。また、実践に困難が伴うことを自覚しています。これは、三人で交際するという提案が、単に快楽を貪るための決断ではないことを強調しています。
あじれな
「第一の試練」として、甘織れな子は瀬名紫陽花に「休日のモーニングコール」をします。
電話の中で、瀬名紫陽花は、両者が恋人関係であることを言葉にするよう甘織れな子に求めます。甘織れな子は恥ずかしげに自分達の関係を言葉にし、瀬名紫陽花はその様子を楽しみます。甘織れな子は反撃として瀬名紫陽花に対して同様に自分達の関係を言葉にするよう求めますが、瀬名紫陽花はためらいなく答え、逆に甘織れな子を恥ずかしがらせます(pp. 58-60)。ここで、自分たちの関係を言葉にすることは純粋な快楽と接続しています。プロローグで琴紗月に対して失敗していた、考えを徹底して言語化する態度は、恋人との会話では肯定的に語られます。
反撃のため、甘織れな子は第3巻の家出旅行中に行った姉妹ロールプレイを話題にします。(「せめて紫陽花さんの恥ずかしそうな態度を引き出さないことには、終われない」p. 61)
「ま、また機会があったら、いつでもなってあげるからね、紫陽花さんのお姉ちゃんに! わたしが! ね、ね!」
『んー、でも、それはもういいかな。だって今は、恋人のれなちゃんにいっぱい甘やかしてもらえるし』
そっ、そんな!
恋人か姉妹かなんて、そんなの、どっちかしかないなんてこと、ないじゃん!
わたしは思わず、めいっぱい叫ぶ——。「お姉ちゃんと妹でも、恋人にはなれるし!」
甘織れな子は姉妹ロールプレイを単なる快楽(特に、性的充足)を得るものとして認識しており(「え、えっちな気分になってきちゃうんだけど……?」第3巻p. 193)、且つ自身が瀬名紫陽花の優位に立てる貴重な場だったため、再び瀬名紫陽花と姉妹ロールプレイしたいと思ってこのような発言をしました(pp. 63-64)。そのため、瀬名紫陽花がこの提案を断った理由を理解できません。
瀬名紫陽花にとっての姉妹ロールプレイは、かつて親から受け取れなかった承認を得ることを目的としていました。瀬名紫陽花は両親からの承認を十分に受け取れなかったと認識しており、その理由を自身が姉であり弟たちの親代わりであることに求めています。そのため、姉であり弟たちの親代わりであるという自身の現状を甘織れな子に移し、妹として、かつて親から受け取れなかった承認を得ようとしました。
しかし考えてみると、瀬名紫陽花は親子や姉弟といった家庭内の(避け難く)上下のある関係(親の意向に従うこと・弟たちを世話すること)に疲弊していました。これは、自身が上下どちらの立場であっても、です。したがって、瀬名紫陽花は役割の反転では本質的に満たされることはありません。
瀬名紫陽花の企みは甘織れな子が瀬名紫陽花の「一番」にならなかったことにより失敗します。この失敗は、瀬名紫陽花が甘織れな子への恋心を自覚するために必要なことでした(過去記事参照)。
甘織れな子は第1巻で王塚真唯が提案する排他的な恋人関係から逃避し、この時点では決定的に相容れない発想を持つ王塚真唯と、それでも善い関係を構築することを模索します。第2巻では、自身を奪い合う王塚真唯と琴紗月の「戦争」に自ら参戦し、排他的で不可逆な選択肢しか与えられていないゲームルールを上書きしました。これにより二人の禍根を断つことに成功します。第3巻では瀬名紫陽花が望んだ排他的な人間関係(「一番」)を事実上断り、これが瀬名紫陽花との関係を進展させるきっかけになります。甘織れな子の、排他的関係を拒む言動はいずれも肯定的に描かれ、それが最もラディカルな形で現れるのが第4巻の決断(三人で交際すること)です。
現在の瀬名紫陽花は甘織れな子が提案した「『普通』じゃない」在り方を受け入れ内面化しています。甘織れな子が言うには、恋人は「対等な力関係」です(p. 60)。一方的に承認を与える(≒「いい子」として振る舞う)のではなく、一方的に承認を求める(≒親代わりを求める)のでもない、相手と承認し合う関係です。瀬名紫陽花は、そのような関係を求めて甘織れな子に告白しました。瀬名紫陽花が自分たちの関係を積極的に話題にしたのは、自身が求めた関係が確かに在ることを実感するためです。瀬名紫陽花にとって、甘織れな子との関係は、友達でも家族でもなく、恋人であることが重要なのです。そのため、瀬名紫陽花から姉妹ロールプレイを求めることは、もうありません。(「んー、でも、それはもういいかな」)
姉妹ロールプレイは、性的充足と存在の承認という二つの意味があることを確認しました。本作は、他の性的接触においても同様の説明をします。そして、それぞれの関係・行為で、当事者が何を受け取るのか(どちらか、または両方)は異なります。姉妹ロールプレイについて言えば、甘織れな子にとっては性的充足の意味を持ち、瀬名紫陽花にとっては承認という意味がありました。
次に、甘織れな子の傍点付きの台詞について細かく読んでいきます。
この甘織れな子の台詞は、自分たちの姉妹ロールプレイを正当化することを目的としています。すなわち、当事者が恋人であることを前提に置いています。しかしながら、その表現は適切ではありません。
「でも」という副助詞は逆接の仮定条件であり、手前の名詞が例外と見做されがちな例を示し、その例が続く述語に当てはまることを示す表現です(『明鏡国語辞典 第三版』参照)。「なれる」は「なる」の可能動詞であり、「なる」が事物の変化を表すため、変化後の状態(「恋人」)が成立していないことを前提とします(図1)。これは可能動詞の形でも当てはまります。
甘織れな子の表現は、姉妹の当事者全員が(本来困難と見られる)恋人関係を結ぶことは可能だ(現在恋人関係ではない)、という意味になります。これでは「お姉ちゃんと妹」がロールプレイの役割を示すことが確定せず、本人の意図を適切に表現しているとは言えません。また、既に恋人である瀬名紫陽花に対して、恋人関係を結ぶことは可能だ、という表現をしている点も不自然です。地の文の「思わず」は甘織れな子の発言に思慮が足りていないことを表しており、語順が適切でない理由を説明しています。
瀬名紫陽花に対して発した言葉である以上、前置きは恋人にするべきであり、「恋人でも、お姉ちゃんと妹にはなれるし!」と表現する方が適切です(図2)。この語順の場合、(義理の姉妹だとしても)後天的に当事者の意思で姉妹になることは通常ないため、「お姉ちゃんと妹」という語がロールプレイを示すことが確定し、後述する他の読みの可能性を否定することになります。
原文の台詞は適切な表現から語順を変えることで、近親間で交際することはあり得る、とも読める表現になっています。この台詞は、第1巻の「恋人ってまだ、よくわからない」という断り文句のように——甘織れな子が友達と恋人の判別ができないことを告白しているのと同時に、作品の構造上は規範的な恋人関係の在り方を批判する意図があると読めるように——作品として人間関係に対する提言をしているのだと読むべきでしょう。
甘織れな子の言葉は、家族であり、恋人でもある、という関係はあり得るのだと表現し、人間関係の分類は排他的であるという常識を拒みます。これは、恋人とは一対一の排他的な関係だという常識を第4巻で否定したのと同じ、人間関係の在り方を拡張する発想です。
この言葉を聞いた妹の甘織遥奈は、近親間でも交際は可能だと甘織れな子が主張したのだと認識し、実姉が自身と交際する可能性を示したのだと解釈し動揺します(「——シスコンなの?」p. 71)。甘織遥奈の反応は、甘織れな子の表現が本人の意図を超えた読みが可能なことを説明しています。
甘織れな子は、思慮が不十分なまま発する言葉が、自身の意図を超えて、作品の構造上重要な意味を持つことが多々あります。本作における最も倫理的な表現である(と私が信じる)、王塚真唯に対して行った未来の失敗を赦す宣言も、考えなしの発言であることが地の文で説明されています(「なんでわたしこんなこと、ぺらぺら喋っているんだ」第1巻p. 29)。前回の記事で確認した、琴紗月を傷つけた言葉も、「言葉を選んでいる余裕」のないまま発言していました。この言葉は第2シーズンの主要なテーマの宣言であると前回の記事で述べました。短編「瀬名紫陽花と、生徒会選挙」において、アドリブで話したスピーチの内容を甘織れな子は「記憶はなかった」(短編集p. 204)と思い返します。スピーチの内容は、予測し得る未来の失敗を判断基準に個人から可能性を摘み取るようなことのない社会の実現を願うものであり、第1巻で王塚真唯にかけた言葉と同じ、本作が繰り返し語る倫理的態度から生まれた内容です。これらの、甘織れな子の短慮な発言が作品の構造上重要な表現になるという演出は、まだ未成熟な甘織れな子を主人公に設定しつつ、高度な倫理的態度を表現するための作劇上の工夫と思われます。結果として、本人の熟慮を経ない、神託にも似た自身の表現を後に再解釈し、時に従属することで、甘織れな子は倫理的態度を実践します。
まいれな
「試練その1のパート2」は、王塚真唯との同伴通学です。
通学中の車内で、甘織れな子は王塚真唯のことを素直に気遣う態度を示します。これまで甘織れな子は王塚真唯に対して所謂ツンデレ的態度(演技)で接していました。交際を始めて以降、甘織れな子は王塚真唯に対して「素直じゃない」態度を取ることはなくなります。本心を素直に伝えることが相手を幸せにする、という発想を確信できた二人の関係は、第1シーズンのそれとは大きく異なります。これも、琴紗月と他の登場人物たちとの関係が演技によって形作られる緊張の走る関係であることと対照をなします。
「あのさ、真唯。もし短い時間でもいいから、真唯がわたしとお話したいな、とか、ちょっと息抜きしたいなって思ったら、すぐ連絡してくれていいからね」
「……それは?」
「いや、こういうこと、ちゃんと口に出して言ったことなかったな、って思って……。その、それでちょっとでも幸せメーターがプラスされたら、いいなー、って」
さらに踏み込んで、甘織れな子は王塚真唯の性的欲求を話題にします。王塚真唯もそのセンシティブな質問に答えます。
「まだ、したいんだよね。真唯は、その……わたしに、あの、昔、紙に書いたみたいなこと」
[……]
「したいとも……。あのときの欲求は、なにも変わってはいない……。私の好きというのは、そういうものだ……」
ここでのやり取りは、瀬名紫陽花との会話と同様に、センシティブな話題を言語化しています。しかし、瀬名紫陽花とのそれとは異なる意味を持ちます。
かつて王塚真唯は規範的な欲望をぶつけて甘織れな子を傷つけました。この時期の王塚真唯は情念に支配されており(「こないだ、君と初めて口づけを交わしてから、どこか様子がおかしいんだ」第1巻p. 156)、自身の言動を振り返ることもなければ、他者の言葉を聞くこともない状態でした。
誠実に相手の言葉に向き合うことと、自身の思いを落ち着いて言葉にすることは、情念ではなく賢慮に従い行動するために必要なことです。特に、王塚真唯は甘織れな子を「傷つけるようなことは、もうしない」ことを宣言しており(p. 91)、これを達成するには、両者の同意の意思の表明が継続的に求められます。
すなわち、この会話は、王塚真唯が過ちを繰り返さないための、更生の意味を持ちます。これは、甘織れな子がかつて話した未来の失敗を赦す宣言の実践です。
王塚真唯の現在の欲望を聞き入れた後、その欲望を受け止めることを伝えるため、甘織れな子は互いが同意した上で肉体的接触を許容し合う「おさわりタイム」というルールを提案します。
『おさわりタイム制、導入』
真唯は衝撃を受けた。
「おさわりタイム……だと!?」
「そう」
心の眼鏡をクイとあげて、わたしは努めて事務的に解説する。役になりきらないと恥ずかしいので!
「真唯がやりすぎてしまわないように、時間を区切ってしまえばいいと思いまして。これなら双方、合意的にいちゃ……いや、さわったりができるでしょ?」
[……]
「ただし!」
わたしはここから先が大事なのだと強調しつつ、スケッチブックをめくる。
「おさわりタイムをすると、同じ時間分のおさわられタイムが発生します!」
「それは……?」
「わたしが真唯をさわります」
「なんだって」
これは、前回引用した「三人のルールは、三人で決めていこうよ」という言葉の実践です。
「おさわりタイム」の肝は、二人が対等な条件で相手に触れることです。時間制限は王塚真唯の欲求を抑制するための仕組みですが、「おさわられタイム」(役割の交換)は抑制のみを目的としていません。それを提案することは、王塚真唯が甘織れな子に対して一方的に性的欲求を向けているのではなく、甘織れな子も王塚真唯に対して性的欲求を抱いており、それを発散したいのだと表現することでもあります。
甘織れな子は、自身から王塚真唯に対して肉体的接触する際、常に相手のケアを目的にしており、自身の欲求を満たすために行動を起こすことはありません。王塚真唯の容姿に見惚れたり、王塚真唯からの肉体的接触に「流されてもいいか」と思うなど(第1巻p. 216)、受動的には性的欲求を向けていることが語られますが、現在の甘織れな子は王塚真唯の肉体を能動的には求めていません。それでもなお「おさわられタイム」を提案したのは、両者が「対等な力関係」にあるために必要だからだと考えられます。
わたしは、二倍の好きをしっかりと、伝えなきゃいけないのだ。
甘織れな子は、二人の恋人に対して、自身が相手を恋愛感情として愛しているのだと伝えることを目指しています。王塚真唯に対しては、その手段は相手が表明する性的欲求を自身も向けているのだと表明することだと考えています。
王塚真唯の頬を撫で、甘織れな子は「秘めやかな高揚感」を感じます(p. 98)。これは性的欲求と考えてよいものでしょう。甘織れな子は、言語に従う実践を通して、これまで意識していなかった王塚真唯への欲求を見出します。
同じ肉体的接触が、かつては情念が支配することで暴力となり、現在は善い目的に基づく言葉が支配することで、王塚真唯にとってケアであり更生にもなる、ということが確認できました。そして甘織れな子にとっては自身の思わぬ内面を知る機会になりました。甘織れな子たちの知的態度は、行為の意味を上書きし、より善い関係を構築します。
まいあじ
飛んで「第三章」から、王塚真唯と瀬名紫陽花の関係についても確認します。
そもそも、王塚真唯と瀬名紫陽花は第5巻時点でどのような関係なのでしょうか。
第4巻では交際関係が確定したのは、甘織れな子と瀬名紫陽花、及び甘織れな子と王塚真唯です。王塚真唯と瀬名紫陽花の関係は、二人で交際する可能性が複数回提示されたのみで、最終的な関係については説明がありません。
一転して、第5巻「プロローグ」では「三人同士で付き合っている」(p. 22)と説明があり、王塚真唯と瀬名紫陽花も交際関係にあることが示されます。
甘織れな子の決断に同意することと、王塚真唯と瀬名紫陽花が交際することは別の話であり、第4巻時点で二人が交際する必要はありません。そして、三人にとって、交際関係にあることは性的な接触を許容し合うことです。第4巻の物語上必須ではなかった交際をすることにしたということは、二人はお互いに性的欲求を向けているのでしょうか。
この答えは王塚真唯が示します。王塚真唯は、甘織れな子に向ける感情と瀬名紫陽花に向ける感情は異なるけれども、同じ行為はできると語ります。
「諦めようとしていた恋が叶ったのは、君のおかげでもあるんだ。だったら、もちろん、前よりも君のことを好きになっているのは、当たり前だろう。その気持ちがれな子へのものと違っていても、親愛の念を口づけで表すことに、一切の抵抗はない」
「そ、そういう考え方なんだぁ……」
王塚真唯と瀬名紫陽花は交際関係にある一方で、その在り方は「友達以上、恋人未満」と呼んでも良いと語られます(pp. 353-354)。作中「友達以上、恋人未満」という関係がどのようなものか説明されるのは第1巻ラストの「れまフレ」の説明であり、「れまフレ」はキスを許容する関係とされます(第1巻p. 287)。
第5巻時点で王塚真唯と瀬名紫陽花は互いが性的感情を抱いていると表現されていません。しかし、それを問題に設定せず、二人はキス程度の性的接触を許容しあう関係であることが語られます。これは、三人にとっての恋人の要素を、他の関係と比較して性的な接触が許容されることのみに設定していることを強調しています。
甘織れな子の決断を受け入れて以降、王塚真唯は性的感情を抱くことと性的接触を許容することを分けて考えるようになります。これは、情念に支配されないよう誠実に言葉を紡ぎその成果たる表現に従うことで起きた変化です。性的欲求があっても倫理的に問題があれば行動に移さない、ということと同時に、性的欲求がなくとも何らかの納得した言語表現があれば行動することは可能だ、という発想を導いたのです。これは、規範のフィルターを通した他者を傷つけるような形でしか自身の欲望を認めることのできなかった、かつての王塚真唯には決して辿り着けなかった発想です。欲望が先行する形で行動するのではなく、誠実に言語を運用することを先行することで、かつての自分には想像もできなかった生き方を実践できるようになったのです。
第8巻「第三章」p. 192において、王塚真唯は親愛の感情を表現するために瀬名紫陽花の頬にキスをします。
瀬名紫陽花は王塚真唯とのキスを想像する度赤面しており、第8巻のキスに対する反応(赤面)もその延長にあります。瀬名紫陽花の反応は王塚真唯への感情を想像する余地のある表現ですが、キスを受け入れたことは、瀬名紫陽花の感情を問題にしない、あくまでも王塚真唯の言葉を受け入れたことの実践として、瀬名紫陽花は説明します(第8巻p. 194)。
対立する琴紗月の在り方について
三人の恋愛の在り方をより深く理解するため、対置された琴紗月の在り方についても確認していきます。
瀬名紫陽花へのモーニングコールが終わった後、甘織家に琴紗月が訪れます。ここで、三人で話し合う実践の系列とは別の、「プロローグ」で現れた対立の物語が進行します。
「それで、瀬名とはもうキスしたの?」
「ぶっ」
[……]
「まだ……ですけど……」
「そう」
「……………………聞くだけ聞いて、特になにもないんですか!」
訪問直後、手始めに琴紗月は甘織れな子にセンシティブな質問をぶつけます。これは「プロローグ」で受けた仕打ちの意趣返しの意図があると思われます。甘織れな子は動揺しますが(「ぶっ」)、琴紗月とは異なり、自身を傷つけ得る質問にも正直に答えます。
「私は、瀬名に言うのだけはやめておいたほうがいいと思うけれど」
「えっ? そ、そうなんですか?」
「そうね。だから私も黙っていてあげるわ。私があなたの元カノだ、っていうことは」
[……]
「紗月さんが、わたしの、元カノ? わたしが紗月さんの、元カノ……。そんなことを、紫陽花さんが知ってしまったら……?」
すがるように紗月さんを見ると、紗月さんは目を逸らした。
「たぶん、ものすごく、気を遣われるわね」
想像する。
[……]
「胸が痛いです、紗月さん!」
「そうでしょう」
基本的に紗月さんはなにを考えてるのかぜんぜんわかんないけど、真唯に対する対抗心と、紫陽花さんに対するダダ甘感情だけは本物だ。瀬名紫陽花ガチ崇拝勢として、信頼できる。
「わかりました……。わたしと紗月さんの一切はこれからもご内密に……」
「そうね。あとで王塚真唯にもそう言っておくわ。それで、話は戻るのだけれど」
「あ、はい」
そういえば、わたしに謝ることがあるとかなんとか。
続いて、琴紗月は自身と甘織れな子が(契約)交際していた過去を、瀬名紫陽花に話す可能性を示し、甘織れな子に止めさせます。これは、すべてを詳らかにすることは他者を傷つけ得る行為だと伝えて、自陣営に甘織れな子を誘惑する行為です。甘織れな子は琴紗月の意図に気付くことはありませんが(「なにを考えてるのかぜんぜんわかんない」)、琴紗月の言葉によって甘織れな子は行動を縛られます。琴紗月のかけた呪いにより、以降の甘織れな子は交際している三人が内面化していた決断を貫徹できなくなります。結果、この後に起こるいくつかの不実な振る舞いを恋人たちに隠し、一人苦しむようになります。この呪いは、第8巻「第四章」で琴紗月の陣営を裏切った照沢耀子が解くまで、甘織れな子を苦しめます。
琴紗月は、第4巻のラストで甘織れな子に告白し、第5巻「プロローグ」で「冗談」だと受け止められて断られました。琴紗月は「迷惑をかけた」お詫びに、告白の真意を話すと言います。しかし、そこで語られるのは説明の拒否でした。
「迷惑をかけたわけだから、キチンと話をしておこうと思って」
[……]
「ええと……じゃあ、なんであんなことをしたんですか?」
紗月さんはキッパリと言った。
「それは言いたくないわ」
「ちょっと!?」
思わず聞き返しちゃったけど、紗月さんは大真面目だった。
「どうしてあんなことをしたのか、言いたくないが私の答えよ。以上」
琴紗月の発言の真意を読み解きます。
このシーンは「プロローグ」から1日以上経過しており、琴紗月は一晩以上の考える時間を経て、甘織れな子の家を訪ねます。咄嗟の演技で「ついごまかしてしまった」(p. 81)「プロローグ」とは異なり、この発言内容は、時間をかけて考えた末の決断です。
甘織家のシーンで、琴紗月は、①甘織れな子を傷つけ得る質問をぶつけて甘織れな子が正直に答えるか試し、②瀬名紫陽花を傷つける可能性を示して言葉を誠実に扱わない領域を甘織れな子が内面に作るよう誘導しました。その上で、③自身は本心や真実を言葉にしないという態度を示します。
すなわち、甘織れな子の決断は自他を傷つけ得る問題のあるものだと訴えた上で、自分はそうではない生き方を選んだことを伝えに来たのです。これにより甘織れな子と琴紗月の対立関係が確立します。
両者は、どちらも、大切に想う自分と他者に何ができるかを考えた上でそれぞれの決断を下しました。それなら、二人の決断はなぜ正反対の結果になったのでしょうか。
琴紗月は真実を言葉にすることは自他を傷つけるものとして、それを拒否することを決断しました。これは、告白の真意を、自身と甘織れな子たちを傷つけ得るものだと認識していることを意味します。琴紗月の決断は、目の前で他者が傷つく様をこれ以上見たくない、ということです(第8巻p. 266)。琴紗月の決断のきっかけは、現実の、恋愛に傷つく母親の姿を見つめて生じた情念です。
一方、甘織れな子は、大切に想う人同士で「傷つけたり、傷つけられたり」することを許容しています。甘織れな子は「理想」を実現するために陰キャから脱却することを目指したことで今の在り方に到達しています。この「理想」の有無が、甘織れな子と琴紗月を分けています。
わたしの答えは、単純だ。
「友達だもん。傷つけたり、傷つけられたりも、するでしょ」
それがわたしの、理想の親友像なんだからさ。
笑って言ったわたしの言葉に、紗月さんは怒りも笑いもせず、目を閉じる。
甘織れな子の台詞は琴紗月に向けられたものであり、琴紗月はその言葉に感じ入っています(「怒りも笑いもせず、目を閉じる」)。これも、第2シーズンを読む上で重要なやり取りです。
本作において、「普通」の人間関係は排他的なものとして表現されます。「普通」の恋人とは一対一の排他的な関係であり、友達・恋人・家族という人間関係の分類も互いに排他的なカテゴリーとして運用されます。「『普通』じゃない」こととは、この排他性を言語表現によって解体し、多様な在り方を受け入れ実践していくことです。
甘織れな子たちと対置する琴紗月の思想的立場は、その構図から、規範を解体する力を持たないことを意味します。琴紗月は甘織れな子の、規範を解体する、「『普通』じゃない」決断を肯定しません。第4巻では甘織れな子の決断に「ゴミ……」(第4巻p. 381)と否定的に反応し、甘織れな子を試すかのように便乗告白します。「第2シーズン プロローグ」での王塚ルネへの名目上の服従も、琴紗月が王塚ルネの事情を利用しているということだけでなく、琴紗月の決断が規範に服することにつながるという物語構造の象徴として読むことが可能です。
琴紗月が立場を変え得る余地も本文に示されています。「真唯に対する対抗心と、紫陽花さんに対するダダ甘感情」です。この二つは琴紗月の「本物」であり、甘織れな子が琴紗月につけいる隙です。
まとめ
三人の恋愛の中では、自身の言動を言語化し吟味することと、相手の内心の言語化を要求することが、それぞれ別の形を取りつつも、良い形で結実している、ということが確認できました。
甘織れな子が提示した、徹底して言語化していくことの意味は、以下のようにまとめられます。
あじれな——想いや真実を言葉にし他者と共有することは楽しいこととして肯定的に語られる。
まいれな——自身の考え・欲求を言葉にすることが更生につながること、言語表現を実践することで内面に新たな発見があることが語られる。
まいあじ——行動の前に誠実に言葉を運用することで、かつての自分には選べなかった生き方を実現できることが語られる。
これら、「理想」の実現のために行動する甘織れな子たちと対置する、「現実」を見つめる琴紗月の立場は、規範を解体し「現実」を本質的に変える力を持たないものとして語られます。この対立関係が、本作の提示する倫理的態度を底から支えます。
